
ロングインタビュー
IL BUONOメンバーの熱い思いが語られる。
川内 悠 Yu Kawauchi
イタリアのIL VOLO(イル・ヴォーロ)に憧れて、IL BUONO(イル・ボーノ)になってしまいました (笑)

― まずはIL BUONOとしてのデビューのきっかけを教えてください。
スカウトです。昨年の夏に鹿児島に帰省中にメールでスカウトされました(笑)。
自分は凄く興味があったので、その後すぐにスカウトの方と直接お会いして「新しいクラシカル・クロスオーバーのグループのメンバーを探している」ということだったので、「それは正に自分のやりたいことだ!」となりまして、すぐに鹿児島の親に連絡をしてちゃんと了解をもらって(笑)という流れでしたね。
ぼくはイタリアのクラシカル・クロスオーバーのボーカルグループ、IL VOLO(イル・ヴォーロ)のファンでしたから、特に、リードボーカルのジャンルカ・ジノーブレのファンでしたから。もう高校生の頃から、ぼくはIL VOLOみたいになりたい!なるんだ!って、ずっと思っていたので、その夢が叶うんだと。だから「ハイ!やります!」みたいなノリでしたね(笑)。でもまさかグループの名前まで似た名前になってしまったのは、びっくりしました。IL VOLOに憧れてIL BUONOになってしまいました(笑)。
― 大学4年の夏にスカウトされましたが、その頃まだ進路が決まっていなかった?
はい。厳密にいうとそうなります。それまでは漠然とではありますが、自分は大学院に行くだろうという感じでした。日本の音楽大学で声楽家を目指すには大学院に進学するのが当たり前みたいなところがありますから。でも、実際に大学院に行って自分は何をするとか、明確なプランがあったわけではなかったので。スカウトされた時は、もう、これは運命だって勝手に盛り上がっていましたね(笑)。
ぼくはこれまでの人生もそうですが、周囲の方々に導かれてきた人生だったので、もう自然に、これは神の思し召しだと(笑)。気持ちが昂っていました。
毎日、アニソンばかり歌う、カラオケ大好き少年になっていましたね。
― ありきたりな質問ですが、初めての音楽との出会いは?
ぼくは幼稚園までは鹿児島市内ではなくて、鹿児島市からさらに車で45キロぐらい離れたところにある指宿(いぶすき)市という町で祖父母と一緒に暮らしていたんです。その頃、祖父が指宿の街で家電店を営んでいました。ある日、どういうわけか、ぼくにVHSのビデオテープをくれました。そのテープは、昭和と平成のアニメソングを特集したテレビの歌番組でした。ぼくはそのビデオテープを何度も、何度も、画像が悪くなるくらい毎日のように観ていました。ビデオに登場する歌手と一緒にアニメソングを歌うのが、園児だったので、とにかく楽しくて、しかも飽きない、みたいな(笑)。歌詞の字幕もひらがなだったので、園児のぼくでも歌いやすくて、それで、物心ついた頃には、もう、毎日アニソンばかり歌うカラオケ大好き少年になっていましたね。それから、よく母とカラオケをしましたね。カラオケモニターに難しい文字が出てくると、ぼくの横で母が、その読み方を耳元で囁いて、そうやって歌詞も、漢字も覚えていきました(笑)。なので、ぼくの最初の音楽との出会いは「昭和平成のアニソン」となりますね。
― 運動はしなかった?
苦手でしたね。今でもですが(笑)。完全にインドアでずっとテレビの前にいましたね(笑)。テレビから流れてくるCMソングを全部覚えちゃって、それをよく歌っていました(笑)。今考えると少しインドアが過ぎましたね。
それで中学校に入学しても運動部ではなく文化部に入りました。ぼくの中学では何か部活に入っていないといけないという暗黙のルールみたいなのがあって、入学してしばらく部活を決めていなかったら音楽の先生にスカウトされまして、何の抵抗もなく合唱部に入部しました。ぼくが1年生の時は先輩とぼくと同級生を入れて男子が4人いた合唱部でしたが、ぼくが2年生の時に同級生が辞めてしまい、3年生の時には気づいたら男子はぼく1人になっていましたね(笑)。でも、そのおかげで、体育館で全校生徒の前でたった一人で『サンタルア』を歌うことになりまして。それが、ぼくが大勢の人の前で歌った最初の体験だったのですが、それがきっかけでますます歌うことが楽しくなっていきました。
「NHKのど自慢」が、ぼくの人生を変えました。
― 中学生の頃もずっとアニソンを歌っていた?
いや、中学生の頃になると、アニソンではなく、昭和歌謡や昭和歌謡ポップスを聴き始めました。また、なぜ昭和なのか?というと、それはNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」を観たのがきっかけでした。そのドラマの中で、薬師丸ひろ子さんが『潮騒のメモリー』という曲を歌っていて、それを聴いて彼女の大ファンになりました。今でもファンなんです(笑)。
薬師丸さんの歌から入って、色々な昭和の歌を聴いていくうちに、気づいたら、昭和歌謡やポップスなんかも歌うようになっていました。そして、洋楽も昭和の頃のものを聴くようになりました。ビリー・ジョエルとか、エルトン・ジョンとか。そして、何といてもマイケル・ジャクソンですね。マイケルの場合は踊りもすごかったし、全てにおいてエンターテイナーというか、今でも大好きです。

― 薬師丸ひろ子のファンになって、それから昭和の歌に目覚めた?
はい。だから中学生の時は、学校で合唱をしながら、帰宅したら昭和に流行った日本歌をカラオケで歌うみたいな毎日でした。
そんな頃に、あれは中学3年生の夏でした。「NHKのど自慢」が、ぼくの街、鹿児島にやって来たんです。それで周囲に強く勧められて、渋々出場したんですよね(笑)。正直、その頃は中学生ですから、のど自慢に出たいという気持ちは全く無くて、むしろ恥ずかしいっていう気持ちが強かったのですが、書類選考に受かってしまうんです。そして、放送日の前日には200組ぐらいオーディションをやって、そこに参加して、合格してしまいました。200組が20組になっていました。それで、じゃあ明日来てください、みたいな感じで、翌日にすぐ全国放送で歌うことになって、「嘘でしょ?」みたいな(笑)。
のど自慢で歌った曲は、尾崎紀世彦さんの『また逢う日まで』でした。でも、歌がサビに行く前に鐘がなってしまって。もう時間が詰まっていて、押し押しだったんでしょうね(笑)。あの日のことは今でも昨日のことのように憶えています。そしてその翌日学校に行ったら、いろんな人に声をかけられまして。帰り道にも知らない人にいきなり「見たわよ!」って言われて(笑)。とにかく恥ずかしかった思い出があります。
―「NHKのど自慢」に出場したことや、そこで見事に鐘がなったことは、ある意味、歌手になるきっかけになりましたか?
はい。その通りなんです。のど自慢がぼくの人生を変えました。それまでは何となく歌が好きで、趣味で、ただ歌っていたという感じだったのですが、その日から、漠然とですが、自分のこれからの人生に「音楽」という選択肢もあるのかなと、次第に強く思うようになりました。
もちろん、中学生の時は、なりたい職業とかもあって、でも、のど自慢をきっかけに周囲の人がぼくのことを「この人は歌の人だ」「音楽の人だ」と認めてくれるようになって。そのおかげで、ぼく自身も本気で歌手になりたいと思えるようになったというか。のど自慢に出たことで、自分の進路を音楽の道にすることができたんだと思います。
そして、合唱の先生の勧めもあって、東京藝大への進学を強く意識するようになりました。
それでぼくは、鹿児島で唯一の音楽専門の高等学校に進学することになりました。中学3年の夏に決めたことなので、そこから短期間で本格的に音楽の勉強を始めたので、その時は非常に辛かったですね。ソルフェージュとか、調音とか、ピアノの練習とか、本当に1からでしたから。東京と違って鹿児島の田舎から、しかも中3の夏から音楽の勉強を始めて、東京藝大を目指すこと自体、かなり無茶なことでしたから。
他人の辛いことを、少しでも和らげることができる人間になりたい。
― それまではどんな職業になりたいと思っていたのですか?
心療内科医です。人に寄り添ってあげるというか、他人の辛いことを少しでも和らげることができる人間になりたいというか、そういう存在に自分がなれることに憧れのようなものがありました。だから今、歌手になっても、やはりそういう気持ちが非常に強いんですよね。自分の歌や声で、人を少しでも癒せたらという気持ちが……。それで自分は人の役に立てるかもしれないというか、今でも自分はそこに一番の生きがいというか、喜びを感じています。でも、それも今思うと、自分が本当に幼い頃から、音楽でずっと癒されてきたからなんだと思います。
― 鹿児島から東京藝大に進学するわけですが、藝大に入学して驚いたことって何ですか?
東京藝大は、とにかくオールスターの集まりというか、田舎から出て来た人たちが多いのに、何故か初めからみんな垢抜けているんですよ(笑)。もともと都会に住んでいた人たちみたいな(笑)。歌も凄いけど、普段の声も素敵というか。ぼくなんか本当に地味で田舎者で、大学では最初はずっと自己主張もできず、とにかく目立たない存在でしたね(笑)。
― 現役の東京藝大生で、同時にクラシカル・クロスオーバーの歌手と いう、その両立というか、悩みや不安などは
ありますか?
今は、自分が学生であると意識しているということはないです。チケット代金をいただいて、お客様の前で歌っているので。だから不安といったものもないですね。大学で今、在学中にプロとして活動している歌手をぼくは知りませんが、でも、自分はまだ知名度がないので、これから1から積み上げていかないといけないと思っています。でも、そこに焦りはないですね。クラシカル・オーバーのグループとしてのIL BUONOの周知もそうですが、着実に積み上げて行かないといけないという気持ちの方がかなり強いので。焦りではないんですが、その気持ちが非常に強いです。

IL BUONOもやっぱり、いつも陽気なグループを目指したいですね。
― 一人の歌手は、一人で考え、一人で歌うわけですが、グループ歌手と
なると、しかも自分以外は10歳以上歳が離れていて、辛いことや難
しいところはないんですか?
ないですね。逆に、お互いに助言できるというところがグループの非常に良いところです。
ぼくは、ご覧の通りで、とにかくマイペースなので(笑)。ストレスとかもほとんどないです。逆に、自分がスローペースなので、周りにストレスを感じさせていないか心配です(笑)。とにかく、これから、もっと歌唱力やハーモニーも含めて、IL BUONOは次第に良くなっていくという自負もあります。それは今、とにかくみんな楽しいし、みんなが上を目指そうと心が一つになっているからだと思います。
― 今、どんな歌手になりたいとか、どんな歌を歌いたいとかありますか?
自分は中学3年の冬に、たまたまNHKの「朝イチ」というテレビ番組のエンタメコーナーで、当時来日していたイタリアのクラシカル・クロスオーバーグループ、IL VOLO(イル・ヴォーロ)を初めて知るんですが、とにかくその時に、雷に打たれたというか、非常に衝撃を受けました。スタジオで2曲歌唱したのですが、マイクが乗っているとか関係なく、とにかくスタジオ中が大きく響いているのが、テレビを観ている自分でもよくわかったんです。とにかくスタジオが響いているんです。今までテレビでそんな歌手は見たことがなく、もう、それから、彼らの虜になってしまって。特にリードボーカルのジャンルカへの憧れがあって、自分もこんな歌手になりたい!と強く思ったんです。だから自分は、クラシカル・クロスオーバーが好きというより、IL VOLOがクラシカル・クロスオーバーだから、自分もそのジャンルを極めていきたいと、そう思うようになりました。
― IL VOLOの魅力って何ですか?
中途半端じゃないというところです。ちゃんと両立しているんです。純粋なクラシックとポップスが。3人とも、ちゃんと使い分けて歌うんですよ。3人それぞれがグループ歌手なのに、独立したソリストであって、3人で歌うと非常に上手く混ざり合うんです。もうそれが絶妙なんです。自分はもう、好きすぎて、高校3年の終わりの頃に、何とかしてチケットを手に入れて、鹿児島から渋谷のオーチャードホールまで行きましたから(笑)。また、IL VOLOは3人の陽気な感じがすごくいいんですよ。あ、これがイタリア人なんだ、みたいな(笑)。ぼくは日本人ですけど、IL BUONOもやっぱり、いつも陽気なグループを目指したいですね。
ぼくの理想の歌手は、IL VOLOのジャンルカ・ジノーブレであり、
アニソンだと、ささきいさおさん、なんです。
― IL VOLOと比較して、自分はどんな歌手だと思いますか?
比較するなんておこがましいですが、先ほども言いましたが、自分は、子供の頃から他人を癒したい、そういう仕事をしたいって強く思っていて……だから、歌に対しては、とにかく人を癒したいという気持ちが強くあります。それは、強く声を張るとかではなく、人に語りかけるように歌うという、甘いサウンドというか、そういう歌い方をする歌手だと、自分では思っています。きっと自分がそういう声が好きなんですよね。だから、やはりぼくの理想の歌手は、IL VOLOのジャンルカ・ジノーブレであり、アニソンだと、ささきいさおさん、なんですよね。
―「ジャンルカ」と「ささきいさお」は凄く離れていないですか?
そうかもしれませんね(笑)。でも、幼い頃、祖父の影響で、昭和のアニソンで育って、変声期になった頃に、自分は、ささきいさおさんの声が妙にハマるなって気づいて(笑)。
それからカラオケで意識して、ささきさんの歌を唄うようになりました。「宇宙戦艦ヤマト」のエンディンソング『真っ赤なスカーフ』とか「銀河鉄道999」のオープニングソングとか。
やはり、昭和の楽曲を歌うようになったのは、祖父の影響が強いと思いますね。自分は、「NHKのど自慢」に出場しましたが、実は祖父も、ずっとその前に、やはりNHKの番組で、「ふるさと競演」というのど自慢のようなバラエティー番組に出場しているんです。
そして、その番組で、作曲家の遠藤実先生から5段の賞状を頂いたのですが、それが今でもずっと祖父の家に大切に飾ってあるんです。なんで「5段」なのかは、ぼくには分からないですが(笑)。
いつの日か、アメリカの祖父の写真を手に入れたい。
― 音楽はやっぱりDNAだと思いますか?
はい。それは強く感じますね。ぼくの母は日本人ですけど、父がフィリピン人なんです。
でも父の父、つまりぼくの祖父はドイツ系アメリカ人で、アメリカ軍人だったんです。
米軍機密が厳しいのかどうなのかはわかりませんが、祖父の写真が1枚もなくて……祖父の顔がわからないんです。父の母、つまりぼくの祖母はフィリピン人で、去年フィリピンで亡くなってしまったのですが、やはりぼくの父も幼い頃に父親と別れてしまっているので、祖父のことはアメリカに帰国したということ以外、顔もわからないんです。
だから自分は、本当に幼い頃から、いつの日か自分で何とかして、アメリカの祖父の写真を手に入れたい、祖父に逢いたい、という気持ちはありますね。それがぼくのルーツなので。
― きっとベトナム戦争の時代の頃ですね?まるで「ミス・サイゴン」みたいなストーリーですね。早く有名になって、
写真を見つけて、逢えるといいですね。
はい。だから、いつも頭の中のどこかで、自分のルーツみたいなものは強く意識しています。ぼくは生まれた時は、金髪だったようです(笑)。物心ついた時には、写真に写っている自分がやたら白いなと(笑)。それでちょっと意識し始めましたからね。
実は名前も、幼稚園までは悠じゃなくて「川内ジョン・パウロ」という名前だったんです。小学校に入学する時に改名しました。裁判所で「今日からジョンパウロは悠です」と言われたことを幼いながらによく覚えています。今は、ユウくんとかユウちゃんって呼ばれていますが、幼少の頃はP(ピー)ちゃんって呼ばれていましたからね。パウロのPです(笑)。
― 生まれた時からずっと鹿児島で育って、でも自分は日本人と違うなみたいな、複雑な気持ちはありましたか?
ありますね。ぼくはもちろん日本人ですが、ぼくには日本、フィリピン、ドイツ、アメリカと4つの血が流れているので、たまにどこかで、自分を都合よく4分割してしまう時があるんですよ(笑)。つまり、時々どこかで使い分けをしている自分に気づくことがあるんです。例えば、ちょっと冷静に考えている時は、今、自分はドイツ人なのかな?とか(笑)。陽気になって、はしゃいでいる時とかは、今はフィリピン人なのかな?とか(笑)。それぞれの文化に心が依っている時に、ふと、そんな気持ちになる時があるんです。
― 言語はどうですか?
残念ながら日本語だけが得意ですね(笑)。だからこそ憧れが強いのかも知れませんね。
タガログ語とか話せないので、いつかタガログ語で歌を歌ってみたいですし、特に英語の歌の発音に関しては今でもかなり気をつけて歌っています。祖父の国、アメリカにはやはり強い憧れがありますから。母も父も洋楽が好きでしたから。英語の歌は両親の影響が強いですね。それと、幼少期から大人への強い憧れみたいなものが自分にはずっとありました。
何とかして「仮面ライダー」に出演できないかなと、今でも本気で考えています(笑)
― 大人への憧れというのはなぜ?
小さな頃は、大人と話が合うことが非常に嬉しかったというか、大人と話を合わせたいという気持ちが強かったというか……。これは鹿児島に限ったことではなくて、田舎ってそういうところがあるんですよ。年末年始とか、お盆とかに家族や親戚が集まると、大人と子供って何故か自然に分けられてしまうんです。食事の時とか、テーブルとかも分けられてしまって、そこにはちょっと見えない壁があって……その時に大人たちの会話に耳を傾けると、それが昭和の話題だったり、あの頃は良かったとか、それをぼくらは知らないから、余計に昭和に興味が湧いてきちゃって……。
― 早く大人になりたかった?
今思うとそうですね。早く大人になりたかったのかもしれませんね。なぜかはよくわからないのですが。大人と話が合うと、小さいのにそんなことよく知っているね、偉いね、とか言われて、感心されるとすごく嬉しくなって、周りの子供にもマウント取れるみたいな(笑)。ぼくは生まれてはいないけど知っているんだぞ!みたいな(笑)。それで次第に、知らず知らずのうちに、大人との会話の話題を探すようになって、一生懸命、調べたりしていた自分がいました。
「スターウォーズ」とか「仮面ライダー」の話題なら、1970年代から今現在も続いている人気コンテンツなので、大人も子供も高齢者も、世代を超えて話ができる話題ですよね。
自分はアニメだけでなく特撮ものも大好きで、戦隊モノはちょうど今年、50年50作になるんですけど、この間も、仮面ライダーの新しい映画の舞台挨拶に朝早くから映画館に並んで行ってきました(笑)。とにかく特撮モノが大好きで、ぼくの密かな夢なんですけど、何とかして「仮面ライダー」に出演することができないかなと、今でも本気で考えています(笑)。その点に関しては、ぼくはアニメや特撮オタクかも知れないですね(笑)。
IL BUONOのブランディングにも関わることなので、ちょっとまだ遠慮しているところもあるんですが、ぼくは、いつかIL BUONOの3人で、特撮モノとか仮面ライダーの主題歌をステージで歌いたいです。覆面をしてでもいいので。先輩方に怒られるかもしれないですが、許してもらえるなら歌いたいですね。客層が変わってしまうかな(笑)。