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​ロングインタビュー

IL BUONOメンバーの熱い思いが語られる。

川崎 慎一郎 Shinichiro Kawasaki

ぼくはイタリアの伝統的な声楽の技術を習得したかったんです。

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― まずは簡単な自己紹介をお願いします。

大阪生まれ、大阪育ち、京都芸大は大学院まで行きまして、卒業後はイタリアのヴェルディ音楽院に留学しました。卒業後もイタリアで歌っていましたから、イタリアには7年半ほどいましたね。

そして東京に来て今年で2年目です。

 

― どうしてイタリアに7年半も?

ぼくはイタリアの伝統的な声楽の技術を習得したかったんです。

それは、いわゆるイタリアのひと昔前の名だたるオペラ歌手が生まれた時代の技術で、パヴァロッティより前の時代なんですが、その時代に活躍した先生にやっと出会えたのが、ぼくがイタリアに来て2年目のことでした。

― パヴァロッティ以前の伝統的な技術とは、どういう声楽の技術ですか? 少し具体的に教えてください。

いわゆる、現代の声楽技術は習得するのが容易というか、イメージで理解して、それを鍛錬する方法なんですが、パヴァロッティ以前の伝統的な声楽の技術というのは、イメージじゃなくて、とにかくフィジカルに鍛錬をしてゆくんです。人間の身体に則した習得方法というか、人体を科学的に鍛錬してゆくんです。例えば、今だと「頭から声を通して出してください!」みたいなことを、いきなり先生に言われたりするんですよ(笑)。でも、実際、人間は頭からなんて声は出ないじゃないですか(笑)。

 

― 今の声楽はイメージトレーニングが主流になったということですか? また、パヴァロッティ以前と以後という声楽

  のいトレーニングの捉え方は何となく理解できましたがそもそも、なぜ声楽の習得技術が今と昔では変わったので

  しょうか?

一つは、伝統的な声楽の技術を教える人たちが次第に高齢化して、少なくなっていったというか、ほとんど死んでしまったということでしょうか……ぼくの先生も、もう90歳を超えていますから。もう一つは、伝統的な声楽技術は、非常に理解に苦労するというか、とにかく人体の構造を習得することから始まり、それを理解しながら、一つひとつ積み上げてゆく鍛錬なので、ずっとやっていても「本当にこれでいいのかな?」って、やっている自分が不安になってしまうトレーニングなんです。でも、現代のトレーニングは、イメージが先行で、とにかく大袈裟にやるから、わかりやすいというか、わかった気になってしまうんです。でも実際はちゃんとできていない、みたいな(笑)。

ぼくはパバロッティの時代、それ以前の時代の声楽家の声に、強く憧れているんです。

― なんだか修道者みたいですね。仏教やキリスト教は、お経や聖書で世界に広まったけど、実際に、お釈迦さまやイエ

  ス・キリストがやってきたことを実践する人は少ないですよね。でも、お経や聖書を読んで理解すれば、何となくで

  すが、その宗教を理解した気になってしまう。わざわざ自分の肉体を酷使したり、自分を精神的に追い込んだりする

  ような訓練をする人は少ないので、それに似ている話なのかもしれないですね。

まさにそうですね。とにかく伝統的な技術を極めるには、日々の鍛錬がきついんですよ(笑)。それは、肉体的にもそうなんですが、それよりもメンタルがキツイです。自分が上達しているという手応えをなかなか感じることができないので、その状態が非常にキツイですね。でも、ぼくはパヴァロッティの時代、それ以前の時代の声楽家の声に、強く憧れているんです。例えばフランコ・コレッリとか、マリオ・デル・モナコとか……みんなイタリア人なんです。だからこそぼくは、イタリアで、彼らが実際にやってきたことを自分も極めていきたいという気持ちがすごく強かったです。それは、声楽の源流というか……上流というか……山の頂上に登ってゆく感覚に近かったと思います。

イタリアで頑張り過ぎてしまって、大切な喉を壊してしまったんです。

― 声楽を極めたいという一心で、実際、イタリア生活が長くなったということなんですね?

いいえ、実はそれだけではないんです。父親の存在が大きかったです。自分は親に音楽大学に行かせてもらって、しかも大学院からさらにイタリア留学ですから、ずっと親のスネを齧ってきたわけで……だから、何とかイタリアで声楽家として大成したいというか、しなければならないんだ!という想いが非常に強過ぎて……「お父さんに恩返しをしたい!」という想いが強かったです。それで、イタリアで頑張り過ぎてしまって、大切な喉を壊してしまったんです。29歳の時でした。声帯が変形して、声が出なくなって。それまで、ずっと声を出していたので少し違和感はあったんですけど、次第に声が出なくなって、それで、その時に発声の先生の門を叩いたんです。

 

ビアンカ・マリア・カゾーニという女性の先生でした。その先生こそが、先ほど話をしたパヴァロッティ以前の伝統的な発声法を習得している先生だったんです。若い頃は、それこそ、伝説のオペラ歌手と言われているマリオ・デル・モナコなんかとも共演された方で、ぼくが出会った時には、もう80歳後半だったんですが……つまり、お婆ちゃんのメゾ・ソプラノ歌手です。とにかくぼくは、カゾーニ先生の下で、1から声楽を学び直したんです。

カゾーニ先生のお陰で、ぼくの歌は、

それまでと全く変わりました。

― カゾーニ先生からは色々な教えがありましたか?

はい。もう、これまで自分が声楽家としてやってきたことが違っていたんだと。もう、それは目から鱗でした。カゾーニ先生は、教え方も非常に厳しい人で、とにかく妥協ゼロでした。何回やっても「ダメなことはダメ!」って。いつも「NO!NO!」みたいな(笑)。すごくご高齢な先生でしたがとにかく厳しかったですね。

後から聞いた話なんですが、先生ご自身も、歌の習得に凄く時間がかかった人らしくて、毎日泣きながら家に帰ってきて、自分のお母さんに「そんなに泣くなら、もう歌をやめなさい!」ってよく言われていたらしいんです。でも、「いやだ!絶対に諦めない!」って、ずっとトレーニングを続けて、最後にはマリオ・デル・モナコと共演するまでになった人なんです。

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ぼくはこの先生に出会って、ぼくが今まで京都芸大やヴェルディ音楽院で学んできたことが、全てリセットになってしまって、とにかく、それからはミラノで働きながら、1から声楽を学び直したんです。

カゾーニ先生のお陰で、ぼくの歌は、それまでと全く変わりました。でも、先生に学び始めて2年も経たないうちにコロナになってしまって、先生のレッスンが全く受けられなくなってしまいました。しかも、ミラノの街は封鎖され、市民はスーパーに行く以外は外出禁止令が出されて、勝手に外に出歩くと罰金50万みたいな(笑)。それで、ぼくは仕方なく、ミラノの自宅のアパートメントで、先生に学んだことを毎日、毎日練習するんです。独学でした。そして、そこでまたしても、声帯をやっちゃったんです。潰しちゃったんです。さすがに今度は2度目でしたので、イタリアと日本と、どちらでも検査をして……結局、声帯が変形してしまっていたので、それで声帯手術のために、泣く泣く日本に帰国することを決めました。だからイタリアでは、カゾーニ先生の教えを最後まで習得できなかったんです。

― 凄い、紆余曲折で、長い話になってしまいましたね(笑)。結局、伝統的な声楽の技術はイタリアでは習得できなかっ

 たわけですね?

そうなんです。でも、それから奇跡が起こりまして。本当に、たまたまなんですけど、帰国してYouTubeを見ていたら、イタリア人のジャンルーカ・テラノーバという50代ぐらいの声楽家の方が、イタリア語で声楽のレッスンをしていまして、その教えが、イタリアでぼくが習っていたカゾーニ先生の教えにそっくりだったんです。もう、ぼくはそのYouTubeを、カゾーニ先生のレッスンに照らし合わせながら、何度も何度も見まして、それを見て練習をして、ようやく今のぼくの歌い方に辿りついたんです。

 

つまり、川崎さんの伝統的な声楽の技術の習得というのは、最後はテラノーバさんの通信教育だったわけですか(笑)?

はい(笑)。テラノーバさんのYouTubeのおかげです。でも、カゾーニ先生に出会えたからこそテラノーバさんのYouTubeが本物だと理解したわけですから、やっぱり、カゾーニ先生なんでしょうね。

カラオケをして、最後は谷村新司さんのサライを合唱みたいな(笑)。そんな家族でした。

― 話が戻るかもしれないですが、そもそも音楽大学への進学のきっかけは?

それは家族です。両親がカラオケ大好きで、家族みんなでカラオケ大会みたいな一家でしたから。みんなでカラオケして、最後は、谷村新司さんのサライを合唱みたいな(笑)。そんな家族でした。だから自然い音楽というか、歌を目指すようになりました。もっと言うと、声楽に興味があったというよりも、ただ、純粋に、声を出すことがとても好きでした。「とにかく声を出したい!」みたいな(笑)。それで、高校で合唱部に入って、ミュージカルをやって、劇団「四季」が好きになって京都芸大に進学しました。京芸から四季という先輩が何人かいましたので。でも、実はもっと正直に言いますと、単純に受験勉強をしたくなかった、というのもありましたね(笑)。

 

― IL BUONOに入ったきっかけは?

スカウトです。ぼくのTikTokを見てスカウトをいただいたので、その時はとても嬉しかったです。コロナの時に、本当に一人だったので、とにかく寂しくて………イタリアにはカラオケがなかったので、もう自宅で弾き語りをするしかなくて(笑)。その頃は、コロナでオペラの仕事がほとんどなかったので、自分でキーボードをコード弾きしながら、ポップスでも歌ってみようかなという軽いノリで始めたのがきっかけですね。それから、イタリアで学んでいたカゾーニ先生の教えを、ポップスでやったら、どうなるんだろう?みたいな、そんな好奇心がきっかけでした。それが意外と、オペラより声を潰さない歌い方になって、さらに面白くなっていって、それが帰国後TikTokを始めるようになったきっかけで、そして、たまたまそれを見て頂いてのスカウトだったので、とにかく本当に嬉しかったです。それで、プロデューサーの吉田さんと実際にお会いしてお話を聞いてみて、クラシカル・クロスオーバーということでしたので、自分も声楽のポップスというものに非常に興味が沸き始めていたので、迷わず「やってみたい!」となりましたね。

冗談ではなく、稽古中に一人で泣いてしまう時とかもあります。嬉しくて、です(笑)。

― 36歳でデビューということについては違和感はなかったですか?

自分はなかったです。お話をもらった時の、その時の自分というか、今日が一番、若い日ですからね(笑)。

それよりも、グループでちゃんと良いものを作ろう、真剣に取り組もう、となった時に、他人のクオリティに対しても、責任というか、担保しなければならないというところに、グループの難しさを感じました。それまでは、オペラを誰かとやるとなっても、自分のクオリティだけに責任をもっていれば良いという考えでしたから、他の人が歌えていなくても、その人はその人、という見方でしたので、その人が良くなるために自分はどうすれば良いか?とか、そんなことは考えたことがなかったので、そこは凄く大変なところです。でも、それでメンバーが親身に感じてくれる時とかは、非常に嬉しく、感動するというか……冗談ではなく、稽古中に一人で泣いてしまう時とかもあります。嬉しくて、です(笑)。オペラ歌手は基本ソリストですから、それは競争なので、そういうことはまずないんですね。だから、グループ歌手って、本当にそこが楽しいというか、恵まれた環境だなと思いました。

 

― IL BUONOでスカウトされるまでは何をしていましたか?

藤原歌劇団に入団していました。藤原歌劇団に入団して2年ぐらい経ちますが、もちろんオペラにも出演していましたが、歌劇団からそんなに沢山のオファーがくるわけでもなく、それよりも来日したイタリア人の通訳をお願いされたりしていましたね(笑)。自分は日本のオペラ界に、あまり魅力を感じられなかったんです。おそらく、先にイタリアのオペラ界を見てしまっていたからだと思います。だから、ぼくはそれよりも、イタリアに留学して、喉を潰して、1から発声法を習い直したので、その発声法を使って、むしろ、ポップスを歌ったらどうなるんだろう?みたいなところに、ずっと興味があったので、その意味では、スカウトを頂いた吉田さんの考え方に合致したというか、共感したところが非常にあります。

ぼくがIL BUONOに求めるものは、表現も自分たちの声も、常に「本物」であるということです。

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― IL BUONOでは音楽監督的な役割も担っていますが、IL BUONOはどんな音楽性や世界観を持ったグループを目指していますか?

今、本当に楽しいんです。半年前に出会ったばかりの人たちとは思えないぐらい3人とも仲が良く、お互いが助け合ってやれているので、とにかく毎日が楽しいです。そこで、ぼくがIL BUONOに求めるものは、表現も自分たちの声も、常に「本物」であるということです。

やはり、それぞれが、それぞれ芸術大学に進学したわけですから、やっぱり芸術家って、中身を追求する人間だとぼくは思うんです。外見よりも中身だっていう……だから売れるか?売れないか?っていうと、売れない人が多いですよね(笑)。芸術家は……つまり、芸術家でビジネス的成功する人って、非常に少ないと思うんです。それは、見た目や外見を気にしない人が多いから(笑)。自分の中身を追求するだけで、人からどう見られているのかなんて、芸術家は気にしませんから(笑)。しかし、それでもぼくは中身だと思うんです。IL BUONOの声と表現、つまり、中身を本物にしたいんです。ぼくは、IL BUONOを、とにかく本物のグループにしたいと日々ずっと考えています。

だから、デビュー直前に、事務所の方針で、劇団(劇団★ポラリス)でストレートプレイのお芝居に参加させて頂いたことは、今でも非常に良かったと思っています。あの芝居で、IL BUONOは3人とも本当の意味で、表現を追求することができたので。本物って言葉で言ってしまうとすごくチープですけど(笑)。

ぼくが言っている「本物」というのは、先にも話しましたが、パヴァロッティ以前のイタリアの伝統的な声楽の発声法なんです。それは、マイクの無い時代につくられた発声技術ですから、ある種、独特なモノです。しかし、それはマイクがあることが前提で生まれたポップスとは、明らかに違う発声法なんです。

そもそもマイクが発明されたことで、発声は自由度が増し、いろんな声も出せるようになり、いろんな歌の表現もできるようになりました。しかし、長い間、伝統的な声楽の技術を学んできたぼくたちが、いきなり何も無いところから、好き勝手にマイクでいろんな表現をすることには、ぼくは非常に違和感を感じます。

 

ぼくたちは、あくまで、ベースとして培ってきた発声法を応用し、さらにその声をマイクに乗せて、声の表現を進化せてゆく……それが、ぼくらが目指す音楽であって、ぼくらにしかできない音楽でもあり、つまりそれは、新しい音楽ジャンルなんです。それこそが、ぼくたちのクラシカル・クロスオーバーであり、だからこそぼくたちは、今、新しい音楽に挑戦しているんだという意識が強いです。

常に壁常に壁にぶち当たっていますね(笑)。

― それはかなりの挑戦なんですか?

いや、もう、それは挑戦でしかないですよ(笑)。特に、ぼくと三木くんは、これまでの声楽のキャリアが長いので、そこをどう変えてゆくか?という、常に壁にぶち当たっていますね(笑)。やっぱり、変えるというのは、それまでやってきたことを壊すということなので、とにかく、よくわからないことになりかけたりしますね。そこを、いかに調整しながら、今やっている音楽に、どう当てはめて音にしてゆくか?という、ずっとそこに挑戦している感じです。

 

― 川内くんは違うんですか?

彼の声は、オペラでもミュージカルでも無いんですよ。そしてポップスでも無い(笑)。すごく珍しい声というか、やはり現役の音大生なので、若さもありますが、誰かの指導が強く入っていないということもあると思うんですが彼の声自体が……クラシカル・クロスオーバーだとぼくは思うんですよね。すでにハイブリッドなんです。もう、彼が歌うだけでクロスオーバーになっている(笑)。もちろん、これからの練習で、彼の声はもっと伸びますし、益々良くなりますが……。

もっと大事なことは「音色」なんです。「色」なんです。

― 音大を出ない限り、世の中のほとんどの人は声楽を知りません。だから、わかりやすいところで言うと、一般的に声

  が大きいとか、大きい声が出る人が声楽家というイメージがあります。でも、IL BUONOは、声の大小は重要視して

  いませんよね? どちらかというと大きな声をなるべく出さないように歌っている印象を受けるグループです。実際、

  IL BUONOが目指す音楽を教えてください。

先ほどから、ぼくは何度も、伝統的な声楽の技術ということを口にしていますが、イタリアの伝統的な声楽技術として、もちろん、声がよく聞こえるように歌う、ということも大事なんですが、もっと大事なことは「音色」なんです。「色」なんです。声楽の世界では、丸いヴェルヴェットのような音が出ているという状態が一番良いと言われています。丸い柔らかい状態とは、つまり、ビロードですね。IL BUONOにとっても同じことが言えると思います。それは、常に柔らかく歌うということではなくて、「曲にあった色を出す」ということだと思うのです。そしてそれは、外殻の話で、中身で言うと、これは俳優でも、ダンサーでも、舞台を志す全ての人に言えることだと思うのですが、「表現」でしかないと思うんです。

端的言うと、熱量というか、心で感じて表現をしているか?ということだと思うんです。それは「表現力」というか、歌う歌詞の意味を深く理解して、それを表現すること、だとぼくは思っています。

 

それと、ぼくら3人の一番良いところだと思うんですが、3人とも、素のままで、和気藹々としているところが大切だと思っています。これは、変な意味ではなく、ぼくたち自身、3人とも、みんなステージをとても楽しんでいますから、ぼくらのライブやコンサートが、ぼくら自身が一番、楽しくないといけないと思っています。そのワクワクする空気の中にお客さんも一緒に入って来てもらうことで、ぼくたちはもっとワクワクするステージを作れると思うんです。ぼくは、そんなワクワクする雰囲気を観客の皆さんと一緒になって作れる、そんなグループを目指していきたいです。

クラシカル・クロスオーバーは、

オペラ歌手が歌うことでも、ミュージカル俳優が歌うことでもないんです。

それは一つの音楽ジャンルなんです。

― もっと具体的にIL BUONOが目指すものを言えますか?

そうですね……ぼくは、一言でいうと、日本のクラシカル・クロスオーバーのパイオニアになりたい。

日本のクラシカル・クロスオーバーを確立させたいです。それは、クロスオーバーという音楽ジャンルが日本では認知されていないから(笑)。クラシカル・クロスオーバーは、オペラ歌手が歌うことでも、ミュージカル俳優が歌うことでもないんです。それは一つの音楽ジャンルなんです。でも、そもそも、そこが周知されていないですから。

 

― 最後に、ありきたりな質問ですが、どんな歌を歌っていきたいですか? 

ぼくはこれまで、ぼく自身が音楽を聴いて、音楽がぼくに寄り添ってくれて、それで助けられてきたところが沢山あるので、自分も、そんな歌手になりたい、という想いは強いですね。でも、それは、悲しい時や、落ち込んでいる時に寄り添うだけではなくて、楽しい時にも寄り添えたらいいと思うんですよ。

楽しい時って、どういう時かというと、単純に歌を聴いていてワクワクすることなんですよね。例えば、その人が楽しいことをしていなくても、ただ単に、道を歩いている時でも、その歌声を聴いたら何だかテンションが上がるみたいな……だからこそぼくは、どんな時でも人に寄り添える歌手になりたいです。

 

そういう意味では、北半球の国って、ロシアのように寒かったり、イギリスみたいに雨が多かったり、日本みたいに湿気がすごくてジメジメしていたりと、そういう国々は、やっぱりノスタルジックな楽曲だったり、ラフマニノフみたいな大河のような、すごく感情的な音楽が多いですけど、南半球の国の音楽って、どちらかというとカラッとしている曲が多いですよね。あまり考えないで聴ける楽曲というか……。時に人って、何も考えない時にふと救われる瞬間ってあるじゃないですか。イタリアの楽曲もやっぱりカラッとしていて、何も考えないでもスッと心に入ってくる楽曲が多いんですよ。だからIL BUONOの楽曲も、情緒的なバラードももちろんアリなんですが、どこかカラッとした、何も考えないけどとにかく、「Buono!Buono!」っていう、そういう楽曲もこれからは歌っていきたいですね。

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